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文字では腹は膨れない

でも栄養にはなるのです

その人をその人たらしめるものは

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夜中ってたまによくわからない哲学チックなこと考えたくなりますよね。

 

テセウスの船*1ってご存知でしょうか。

簡単に言うと、

1つの船がありました。

その船の故障や破損を修復するために、壊れた部分を新しくして、新しくして、

を繰り返していくと、いつの間にか当初の部品は1つも無くなり、

全て元々の部品とは違う部品に入れ替わっていました。

その船は、元々の船と言えるのでしょうか。

という問いですね。

これ、いろんなものに言えると思うんですけど、

人間はどうなんだろう、と思ったわけですね。

夜中にそんなこと思ってしまうと、どうしようもないですよね。

色々考えを巡らせてみました。

 テセウスの船の船を人間に置き換えると、

ある一人の人がいました。

事故や病気の治療のために輸血や、移植を繰り返した結果、

本来の自分の体は無くなり、全て別の人のものになってしまいました。

その人はその人であると言えるのでしょうか。

 

これに関しては私が思っている一つの考えは、

いくら他の部位が入れ替わってしまおうとも、

脳さえ残っていれば、その人のままだ、ということです。

いくら見た目が変わろうとも、流れる血液が変わろうとも、

その人がその人であるという意識が残ってさえいれば、

その人はその人だと思うのです。

 

なので、脳まで入れ替わってしまい、その人がその人であるという意識が消えてしまった時点で、

その人はその人では無くなるのだろうなと思います。

 

そこで、その中間のことを考えてみました。

あらゆる部位は入れ替わってしまったが、脳はそのまま。

しかし、不幸にも記憶喪失になってしまった。

果たして、その人はその人と言えるのでしょうか。

 

脳まで全て入れ替わってしまったが、

最新の技術で、記憶は全て引き継いでいる。

その人はその人と言えるのでしょうか。

 

脳は残っているが、記憶がない人。

脳は残っていないが、記憶はある人。

 

よりその人らしいのは、一体どちらなのでしょうか。

 

おそらく、はたから見てその人らしいのは、

記憶がある彼だと思うんですよね。

 

パーツ(言い方が悪いですが許してください)は全て入れ替わっていて、

残っているのは「記憶」という形のないもののみ。

それでも、それだけでその人はその人であることが出来るんです。

 

テセウスの船も同じです。

全ての部品が入れ替わってしまったとしても、

誰かが、

「この船はあの船だ」

という記憶を持ち続けている限り、あの船なのです。

船自身が、俺はあの船だという記憶を持ち続けていれば、それはあの船なのです。

 

こうして考えてみると、記憶と言うものの重要性がわかります。

あの人のことを覚えていること。

あの人から覚えてもらっていること。

自分のことを覚えていること。

いろいろな記憶は、それがそれであるためになくてはならないものなんだと思います。

世界は記憶で成り立っているんですね。

 

ここで一つ疑問が浮かびます。

将来技術が進歩し、記憶を複製することが出来るようになった時、

全く同じ記憶をインストールされた二人は、どちらが本物なのでしょうか。

外見は全く違うが、保持している記憶は全く同じ。

どちらも、

「俺がAだ」

と言い張っている。

もちろんどちらも間違いじゃない。

どちらもAの記憶を保持しているのだから。

しかし、世の中に同じ人間が二人存在することはない。

いったいどちらがAなのでしょうか。

そしてAじゃない方は何になってしまうのでしょうか。

 

どちらもAじゃない、という見方もあると思います。

しかしそれでは、前に話した、記憶があればその人なのだ、という理論も破綻してしまいます。

記憶があればその人だ、という理論が破綻するとなると、

肉体が残っていなければ、いくら記憶があったとしても、その人は元の人ではないことになってしまいます。

 

となると、やはり一部分でも肉体が残っていなければ、

元の人間と同一人物ではない、ということになります。

今の医療技術では、全く別人の脳に、記憶のみを移植するということはできないはずなので、

今の時代ではその定義で問題ないのかもしれません。

 

しかし、この先技術が進歩し、自由に記憶を移植できる時代が来たとしたら。

人を人たらしめる物は一体何になるのでしょうか。

記憶が残っていても肉体が残っていなければその人はその人ではない。

そんな虚しい現実に直面しなければならない日が来るのでしょうか。

 

この先の未来がどうなるのかは分かりませんが、

自分が自分であることだけは、貫きたいものですね。